御手洗はこちらです。

便所みたいなもんですね。

時間の首輪

「時計を買ったの」

何時ものように、二人がけのソファの左右を大きく空けて腰を掛ける私達の前に小さな黒い箱を置いた。
特に珍しいロゴが入っているわけでも、値の張るブランド品と言うわけでもない。

「珍しいね、普段着けないのに」

貴女が手に持ったマグカップの中身は蜂蜜入りのホットミルクで、コクコクと飲む貴女から甘い香りがする。

「私が着ける物じゃないわ、貴女が着けるの」

「え、私が?」

「そう、プレゼントよ。是非着けて頂戴」

「嘘、ありがとう。本当に珍しいね、君が物をくれるなんて」

「良い物が見つかったのよ、偶然ね。はい、これ」

開けると、箱と同じような黒い色のベルトをした、これまた箱と同じような特に物珍しい感じもしない時計が出てくる。
ただし、そのベルトは腕時計と呼ぶには異様に長かった。

「ん......なんか、これ長くない?調節できるかな」

「ふふ、それはね、腕に着ける時計じゃないの」

「え、ならどこに着けるの」

ソファに座る貴女の後ろに回り込むと、それを首に回した。
これがまた凝った作りがされていて、首に着けるにもかかわらず着け方は腕時計のそれなのだ。中々苦戦するが、ついでに首を撫でまわすには都合の良い言い訳になる。
つい、そのまま絞めてしまいそうになるのは、綺麗な物を壊したくなる私の何時もの悪癖だ。

「......首時計?」

「ふふ、間違ってはないのだけど、これはどちらかといえばチョーカーよ。時計付きのね」

「へぇ、なるほど。君が好きそうな奴だねぇ」

「そう、私こういうの大好きなの」

「でもさ」

「なぁに」

「......これ、私時計見えないんだけど」

「ふふふ、そこがいいんじゃない」

「えぇ、意味無くない。それ」

「意味はあるわ。ほら」

私はまた、ソファを半周して貴女の顔を膝立ちで覗き込む。

「私が貴女の顔を見るたびに時間がわかる」

「私が着ける意味!」

「あるわよ、時間を確認するたびに貴女の顔が見えるのよ。素晴らしいじゃない」

「ちょっと、それ普通に腕時計とか着ければ……」

面倒な事を長々と喋りだす口は早々に口で塞ぐに限る。
即効性が高く、何より後腐れがない。
ついでに褒め言葉の一つでも載せておこう。

「......ごめんなさい。可愛かったから、つい」

「......あの、その癖は治‪し‬てもらわないといつか本当に怒るよ」

最近この黙らせ方を使い過ぎていたようだ。癖とまで言われてしまうのだから相当なのだろう。もっと日常的に行っていこう、そうしよう。癖、とすら思えない程に。

「じゃあもう二度としないわ」

「そういう底意地の悪いところは嫌いだ」

「あら、なら最後に」

もう一度、そんな言葉を吐く口を塞いだ。

一度目も二度目も蜂蜜の甘い味がした。

「......二度としないって、言ったくせに」

「ふふ、今私は、二度と、と言ったのよ。一度なら嘘にならないわ」

「あぁもう!わかった。ありがと、嬉しいよ。物で貰うのは初めてだし、大切にする」

「えぇ、お願い。私と一緒に居るときは、なるべく着けてくれると嬉しいわ」

「それは、時計を見る手間が省けるから」

「いいえ、貴女の顔を見る手間が省けるから」

「その台詞、一生忘れないから」

「ごめんなさい、少し意地悪したくなっ......」

貴女からするのは珍しい。
それほど嬉しかったのか、それとも本当に怒っているのか。
なんにせよ、そのどちらだったとしても私は喜んでしまうから駄目ね。

だって、三度目は味がわからないんですもの。

「......仕返し」

「その仕返しを期待してもっとしたくなるから、あまりお勧めはしないわね」

「はぁ、君は本当に良い性格してるよ......」

「あら、褒められてしまったわ、嬉しい」

「本気で言ってるなら、君は皮肉って言葉を調べるといいよ」

「貴女の皮と肉なら、喜んで食べますけれど」

「あぁ、もう!本当に良い性格してるね!本気で褒めてるよ!」

「ふふ、お褒めに預かり光栄ですわ」

首に着いた異物を撫でる貴女を眺めて、そのチョーカーの本当の意味を知る私はほくそ笑む。

「あのさ、思ったんだけど」

「はぁい」

「この時計、時間合ってる?ボタンも何も付いてないけど」

「いいえ、全く」

「えぇ……本当に意味無くない、それ」

「ふふ、いいのよ、それで。それでこそ意味があるの。時計なのに、時間を示さない事にね」

「んぅ、よくわかんないけど……」

「まぁ、とっても正直に言えば、時計はただの飾りなの。でも、可愛いじゃない?首に時計が着いてるって」

「わかるような、わからないような」

「いいのよ、それで」

「んー、まぁいっか。ありがと、嬉しいよ」

「ふふ、どういたしまして」

 

と、そんなやり取りをしたのを、よく覚えている。
今、私の前で笑う貴女が着けているそれは、丁度午後三時を示していた。
あの日渡したそれは、午前零時から始まっていて、渡してから十五時間が経過している事が目に見えてわかる。
しかし、貴女はその時計の意味にまだ気がついていないし、おそらくこれからも気がつかない。
時計の形をしたそれは、飾りではないし、時計としての意味を、そもそも最初から持ち合わせてなどいない。
何故ならばそれは、着けていないと動かないから。
脈を検知し、着けているその時間を計測する。
そう、それは言うならば「束縛した時間だけを数える」拘束具なのだ。
しかも、それを首に着けるだなんて、考えた人は実に素晴らしい感性を持っていると言える。
その時計は誰かに贈る事を前提に作られ、贈られた相手からでは着けている間、見ることは出来ないのだから。
こんなにも、独占欲を形にした物は中させななやわまね々無いだろう。
私だけが見える、貴女を私に縛り付けた時間だ。
私達は、その針が何周するまで一緒に居られるのだろうか。
或いは、その針が止まっている時間と動いている時間、どちらを選ぶのだろうか。
その結末は知る由もないが、少なくとも今在る現実は正しく時間を刻んで居る。そこに虚妄は無い。だから、私はこの目に見える現在だけを信じよう。
目に見えない未来に怯えるよりは、ずっとずっと、幸せだろうから。

「そんなに気になる?これ」

首のそれを撫でる仕草は毛繕いをする猫を彷彿とさせた。

「えぇ、気に入ってるもの。良い買い物をしたわ」

「自分のも買えば良かったのに。そしたらお揃いだよ」

「ダメよ、それでは意味が無いのよ」

「そうなの?」

「えぇ、そう。同じ時間を、同じだけ刻んだって意味が無いもの」

「わかんないけど、君がそう言うなら、そうなのかなぁ」

一秒、また一秒。
時計のフリをした時間の首輪は時を刻む。

「でも、そうだね。二人で同じ事をしても仕方ないしね。二人で居るからこそ、違う服を着て、違う事を考えて、違う物を食べて、違う歌を聴く。それで」

貴女は少し気恥ずかしそうに俯いた。

「そのどのページにも、君が居るの」

「……珍しい。貴女がそんな詩的な事を言うだなんて」

「たまにはね、たまには!ほら、言葉にするのは、大切だなって思うからさ」

照れ隠しが下手だから声が上擦るのに、貴女はそんなにも正しい事を言う。

「ふふふ、嬉しいわ。そうね、本当に……本当に大切ね」

その正しさが、少しだけ私の胸を締め付けた。水を含んだスポンジを握るように、私の胸から何かが溢れた。
私は首の針だけを見つめる。
また一秒、貴女を私に縛り付ける。
いいえ、本当に縛られているのは、私の方だ。私は貴女に、ずっと縛られている。
その正しさに、ずっと、ずっと。

「……ねぇ」

「ん?」

「貴女は私と居て、幸せ?」

少しだけ、答えを聴くのが怖いのは貴女が正しい答えしか言わないと知っているからだ。

「うん、幸せだよ」

秒針が一周するのと同時に分針もズレていく。

「……そう、ありがとう。私も幸せよ」

また私は、嘘を吐く。
でも。

「やだ、なんか恥ずかしい」

そう言って照れくさそうにはにかむ顔を一秒でも長く見ていてたいと願うこの気持ちは、本物だと信じてる。
その秒針は、止まらないから。

 

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時計付きのチョーカーがあったら可愛いよね、

そして、それを着けている本人には時間がわからないことに意味があるよねと言う話です。

なんだか微妙に支離滅裂な感じになってしまっていますが、これはまた書き直します。

 

首輪と言うアイテムから、皆さんは何を連想しますか?

私はまず初めに「飼い猫」を想像します。

わざわざそれを着けたいと思うのは、所有権を主張したいからなんだろうな、と。

しかし、逆に、首輪なんて着けなくても、貴女は私の元に帰ってくるでしょう?と言う自信は、はたして一体何処からくるものなのでしょうか?

そして、それは本当に愛なんでしょうか?

私には全くわかりませんが、どなたか答えを持って居たら教えてください。

 

以上です。

終焉のディープキス

 

「ねぇ、夕飯は何にしましょうか」

ソファに座りながらペラリと雑誌を捲る貴女と、冷蔵庫の中身を交互に二度づつ、横断歩道を渡る小学生の如く泳ぎ見た。

「んー、何でもいいよ」

だから私は、少しだけ意地悪をしたくなったのだ。

「質問を変えましょうか。この食事が最後になるとしたら、何が食べたい?」

「あぁ、そうきたかぁ。ん……お寿司、とか、食べたいかも。あぁ、でもなぁ……」

「ね?そう聞かれたら、ちゃんと考えるでしょう。私との食事はそう考えて答えて頂戴。明日には居なくなってるかもしれないんだから」

「う……ごめんなさい。気をつけます」

言っている意味を理解して頂けた様で、殊勝な態度を取る。

「わかってくれたならよろしい」

「じゃあさ、君なら何て答えるの?この食事が最後なら、何を食べる?」

「そうね、答えは一つよ」

ソファに座る貴女を押し倒して、問答無用に舌をねじ込む。
呻く声は、粘膜の接触により小さくなり、やがて消えた。
部屋に響くその音は、世界中で行われているソレと何も変わりはしないはずなのに、私達はソレと同じにはなれない事に、寂しいだなんて思ってしまった。
舌を抜いて貴女の瞳を覗き込むと、その瞳には私しか映っていなかった。その孤独は、あまりにも私の胸を締め付ける。

「……ふふ、貴女を食べるわ」

「……わぁお、強烈」

もう食事どころではなくなってしまったかしら。
暫く、貴女は息を止めてジッと私を見ていた。しかしそれも束の間、大きく溜息を吐くと私を抱き寄せる。

「はぁ、今ので凄く疲れた……」

「ふふ、ごめんなさい。どうしましょう、このまま続けてもいいけれど、お腹が空いてるのは本当ですし」

「……続きは、デザートって事でどうですか」

「あら、素晴らしい解答。その表現は満点ね」

「君ならこう言うだろうなって思って」

「よくお分かりで。伊達に長く付き合ってないわね」

「本当にね」

そのまま離れるのは少しだけ名残惜しく感じたので、色に染まったその頬に軽く口付けをして離れる。

「と、言っても残念ながらお寿司は無理なので、今日は野菜炒めとお味噌汁ね。待ってて」

「さっきの質問の意味!」

「ふふ、今度食べに行きましょう?予定は任せるわ」

「はいはい、お任せください。お姫様」

「お願いします、王子様」

エプロンを着けると、キッチンへ向かった。
冷蔵庫にあった適当な野菜を切りながら、結婚したらこんな生活を送るのだろうか、などと在りもしない未来について妄想してみた。だが、起こりえる未来を想像するのはただの予言だ。妄想とは、如何にして現実には起こりえない事を想像出来るか、に価値があるのだと私は思う。

私はそれを辞めたくないし、辞める理由もないけれど、どうしてもこの虚しさからは逃げだせそうにないので、今日の野菜炒めには玉ねぎが多くなってしまう。

「……ねぇ」

私の啜り泣きは玉ねぎのせいなのだけれど、どうしてかしら、あまりにも部屋の雰囲気はそうは言わせて貰えない。

「危ないわ、もう少し待ってて頂戴」

セーラー服にエプロン姿の私は、貴女にはどう見えているのだろうか。
甘えるように、背に鼻を擦り付ける貴女の顔は、今相対してもまともには見る事が出来ない。
だから、私はただただ玉ねぎを切り続ける。

「ちょっとやってみたくなっただけ。ほら、よくあるじゃんこういうの」

「……そうねぇ」

あぁ、玉ねぎってこんなにも涙が出るものだったか。

「寂しいね」

「そうかしら」

「寂しいよ」

「……そうかしら」

あぁ、もう酷い。
その顔は私が一番好きな貴女の顔だと知っているのに、それ以上に今の私は酷い顔をしているのだろう。
私は包丁を置くか、数瞬迷ってから置いた。
やはり、もう食事どころではないな。

「私は、ちゃんとここにいるのに」

「でも、やっぱり寂しいなぁ」

「……ごめんね」

「謝らないでよ、余計に……さ」

背中が冷たい。
私は貴女に振り向かないし、貴女は私を振り向かせない。
私達はずっと、このままなのだろうな。

「泣かないでよ」

「泣いてないわ」

「嘘つき」

「嘘じゃないわ」

少しだけ、空白が挟まれた。

迷った訳ではないのだろう。

空白まで含めてこそだから。

「……してよ」

「……今はダメよ。デザートだって、言ったでしょう」

「私はメインにはなれないの」

答えに迷う。
この世には吐いて良い嘘と、悪い嘘があると私は知っている。
でも、嘘も方便、だなんて言葉もあるから、今出せる精一杯の明るい声で

「……ベッドへどうぞ」

なんて言ってしまった事をいつか必ず後悔するのだろうな。
少しだけの意地悪が、こんなにも本気になってしまうから。

 

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真面目に書いた、つもりです。

いや、本当に。

今まで、2000文字前後のSSは1~2時間程度で一気に書いていたのですが、これについてはしっかり考え、何日か置いて書き進めているので。

面白くは、まだ出来ていないのかなぁ。とも思いますが、今までとはちょっと変化がついているのでは、とも思います。

まだまだなのは分かっていますが、それなりに進められてはいるのかな。

 

さて、「終焉のディープキス」

曲紹介です。

 

歌詞のすべてが好きですね。

矛盾した感情について歌ってくれているのかなぁと聞くたび、歌うたびに思います。

しかし、それでこそ人間、なのだろうとも。

 

とりあえずこれを完成させることができたのは私にとって意味ある行為(何日かに分けて文章制作をする)だったので、本当に良かったです。

過去の自分の感情をうまい事バトンタッチすることはできそうなので、このままいけば少しづつ文章量をあげることができそうですね。

次のステップはやはり、大味にならないように気を付けて味付けをすることになりますかね。

このシリーズ(百合物語)もなんだかんだストック含めて一万文字ほどになりました。

しっかりこのひとつひとつを未来の自分にぶん投げたいと思います。文投げたい、みたいな感じで。

あとは、未来の自分がうまく調理してくれるはずなので、任せました。

では最後に問いを

 

「明日世界が終わるなら、今夜何食べる?」

 

以上です。

 

 

 

ただの更新です。

最近の人生に対する進捗状況でも簡単に纏めておこうかと思いましてこうしてフリック作業に勤しんでおります。

 

さて、僕はなんだかんだで生きております。一度間違いなくこの命を捨てようと思ったはずで、間違いなく行動にまで移したにも関わらず、まだこうして生きております。

 

もうですね、ここまで来ると何もかもどうでもよくなるのと同時に、何もかもどうにでも出来てしまう気にさえなってしまいます。

明日にはきっとパッと消えてしまえる自信がずっと何処かにあって、だからこそまだいいか、と先延ばしにし続けている感覚です。

 

仕事は順調です。実際問題もう何年も繰り返した作業ですので、流石に上手くは出来なくとも下手はしないくらいには上達しました。

それが、正しい事かどうかはさて置いて。

労働は間違いなく感情を支払います。

その対価として金銭を頂いています。 

だからこそ、労働時間内にいかにして感情を動かすかを意識して今は働いております。

労働は時間を売って金を買っているわけでは無いな、と言うのが最近の結論です。

時間は確かに有限ですが、一人で扱うには間違いなく人生の時間は長すぎます。

一人で扱える自身の時間にも有限が有るのです。

自分自身一人で抱え込める自分自身の時間には限界がある。

だから僕はなるべくならば、この時間を人の為に売ろうと思いますね。

ただし、そう言った行為そのもの。

好意を安売りする行為そのものに対して疑問を抱く人間の存在は現実です。

昔、そんな事をやり続けていたら怖いと言われた経験があります。

なんだか、怖い、と。

それは

その行動の根源が不明瞭だから

だったのでしょうね。

あの時は学生だったので、特に末恐ろしい者に見えていたんだろうなぁと今になってようやく理解が出来ました。

何故なら学校と言う空間は絶対だからです。

あそこはピーターパンの世界なので。

異物が混入したらそれはそれは怖いと感じて仕方がないのだろうな、と。

ですが、社会人になり、多くの人と、深く関わるようになり、あぁこんな人もいるよな。

とは思いました。

ただし、僕はまだ僕のような人とはまだ出会えていません。

何処かに

優しさ

を100円均一の量産品が如く大安売りの叩き売りをしている方がいらっしゃったら是非私に紹介して頂きたい所存です。

僕も優しくするので、優しくしてください。

お願いいたします。

 

ま、そんな所ですね。

数年後にこれを読む自分が何を考えるかとても気になるのでこうして残しておこうと思います。

何故こんなブログ更新をしようと思ったのかはもう忘れてしまったのですが、とりあえずここまで書いてしまったのでそのまま行きます。

 

以上です。

 

温度

 

私達の住む街は、海よりほど近い場所にあり、夏はプールで塩素の匂いを嗅ぐよりも、海の潮風を浴びる方が多い程に、海とは身近なものだ。
しかし、私は夏の海を見に行くことも、遊びに行くことも殆どしない。
観光客が犇めき合い、風情なんてあったものではないし、何よりも、彼らの大多数は海そのものが目的ではなく遊べる場所と雰囲気と時期さえ合えばどこでもいいのだ。
そんな海を見ると「あぁ、都合良く遊ばれているわね」と可哀想に思えて、そんな貴女を見ていたくないと目を逸らしてしまう。
だから、私はこんな真冬の寒空の下で見る海こそが、本物だと思うのだ。

「海、好きだよね」

石畳の階段に腰掛け、寄り添う貴女は私の肩に頭を乗せる。
繋がれた私の右手と、貴女の左手に手袋をはめていないのは、少しでもいい、この距離を縮めたいと言う想いなのだろう。
こんなにも寒いのに、この手だけはこんなにも熱い。

「えぇ、好きよ。本当なら、此処に住み着いてしまいたいくらいには」

「こんなに寒いのによく言えるなぁ」

「水は冷たければ冷たいほど、本物なのよ」

「……うーん、ごめん。私にはわかんないな」

「ごめんなさい、自分でも何を言ってるのかよくわからないわ……」

「何それ……」

「思春期なの、許して」

「そう言うところ、好きだけどね」

「ふふ、ありがとう」

水は、冷たいほどに本物だ。
氷になる直前程の冷たさ。
触れると痺れ、浸かると縛られる様なあの感覚が堪らない。
いや、触れたことはあっても、浸かったことは無いのだが、きっとそんな感覚なのだろう。まだ妄想の域を出ないが。
しかし、果たして水は、氷と言う全く別の物になるその瞬間まで、自分の事を水だと信じて居られるのだろうか。
氷になったその後も、水であった事を忘れずにいられるのだろうか。

一際冷たい風が吹いた。

「うぅ……ざぶいぃ……」

身を縮ませながら、赤い鼻をこする。

「そうね、雪が降ってもおかしくないくらいね」

「雪かぁ、いいね。ロマンチック」

「雪、ね。……ねぇ、雪はどちらの記憶を持っているのかしらね」

「……うぅん、今日の君は難しい事ばっかり言うね」

「センチメンタルな気分になるの、海を見ると」

「……もっと近くに来て」

そう言いつつ擦り寄る貴女は言葉と行動がちぐはぐだ。
これ以上近づく事なんて出来ないのに、遠過ぎるその距離はどうしたって覆らないのに。
この想いが伝わっている事はわかっているし、貴女のその想いも私に伝わっている。
だから私も頬を寄せ、お互いの体温を別の意味で上げようと試みる。
互いの白い吐息が混ざってどちらのものかわからない。
それほどまでには、寒かったから。なんて言い訳を使うには都合が良すぎる季節だ。

「私は、海になれているかな」

頬を擦り合わせながら猫の様に鳴く貴女は曖昧な言葉を吐いた。
私の喋り方にほど近く、やっぱりそうして寄ってくるのは貴女の方。

「……そうね、どちらかと言えば、貴女は貝殻かしらね」

「……難しいよ」

「ついつい拾って持ち帰りたくなってしまうところがそっくり」

「いいよ、持って帰っても」

「ふふふ、そうね、海の底までついて来てもらっていいかしら」

「それでも、いいよ」

曖昧なやり取りを続けるのは、本物が怖いから。
どうしたって本物にはなれないのに、この想いだけは本物だと信じていたい。
簡単に本物の言葉を使ってしまったら、本物の嘘になってしまう様な気がするのだ。
しかし、こんなに寒くても海は凍らない。
それはきっと、海が私は私でいようと信じているからだ。こんな程度の温度では私は変わらないと強い意志があるからだ。
他の何者にもならないと強く自身を信じているから、凍らないのだ。
だから、ね。

「海は私よ」

「……そっか」

「だから、ね」

少しだけ、言葉にするか迷うのは、怖いからではなく、恥ずかしいからでもなく、この想いを言葉にするのは勿体無い、だなんて想ったから。

「……もっと私で溺れて」

「……もう、息なんて出来ないよ」

あぁ、ダメだ。
もういいや、ならば本当にその息は止めて頂こう。
この唇で。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

百合物語のつもりなんですけど、大丈夫ですかねぇ、これ。

考えて書いてはみたんですが、うまく行ってるかどうか自分ではまだあまりわからないです。

はい。

 

テーマは「海」です。

某所のコンテストへの応募作にするつもりですが、とりあえずでここへ投げておきます。

 

曲紹介です。

バルーンさんの「メーベル」


メーベル/バルーン(self cover)

最近毎日毎日聴いてます。

恐らくきっとこの曲は失恋の曲なんですが、サビの

「相対になるのは夜が明けてから」

と言う歌詞はとても大人だなぁと感じます。

でも、だからこそ一緒に居られなかったりもしてしまうんですよね。

わかってしまうから、気づいてしまうから、知ってしまうから。大人、と言うよりは賢くなってしまったから、とでも言いましょうか。

わからない、気づかない、知らない。

それがいかに子供で、そしていかに幸せな事で、これそのものに、わかってしまい、気づいてしまい、知ってしまったら、もう戻れないんだな、と。

 

以上です。

 

 

 

痛み

折れた鉛筆を削る時に、いつも思うのだ。
これは人だと。
疲弊し、磨耗し、折れた芯を削り出す。削るたびに短くなる。書けば書くほど丸くなり、また削られて尖りだし、最後は無になる。
だとするならばやはり人生とは、その握り締めた鉛筆で何を描くか、なのではないかと。

「この絵さぁ、どうよ」

隣に座る貴女は読んでいる本から半目ほど逸らして私の絵を覗き込むと眉をひそめた。

「私には芸術なんてわからんと何時も言ってる。でも、そうだね。好きだよ、わからんけどね」

「嬉しくないな、それ」

「なに、褒められたいの?」

「そうじゃないけどさぁ」

私の絵は抽象的だ。
私自身、何を描いているのかわからない時がある。
朝食べたパンに塗られたジャムの味を覚えているだろうか。
毎日何を塗っているか、なんていちいち覚えてもないだろうが、何か塗って食べているのは間違いないだろう。私の抽象とはそんな類の抽象だ。
でも、一つだけ言えるのは、これは私自身である、と言うことだ。
私は私を描き続けてる。
画家になりたい訳じゃないし、さして頻繁に描く訳でもない。
ただ、私は私を残したい、それだけだ。

「描くことに意味があるのか、完成させることに意味があるのか、人に伝えることに意味があるのか」

「さぁねぇ、私にはわかんないかなぁ。でも、あんたが描いた絵ならなんだって好きだよ」

「だからぁ、そうじゃなくってさぁ」

丸くなった鉛筆を尖らせながら、私の口もこれくらい尖れば刺せるかな、などと意味不明な供述をしてみた。
嬉しいけれど、嬉しくない。
私は絵の感想を求めているのに、貴女は何時も、あんたが好きなら私も好きだ、なんて言ってくるから、怒るに怒れないし、そんな私の事も分かっていてわざとそんな事を言う。
私と言う個人を全然見てくれてないのに、私と言う存在しか見ていないから、なんだか根のない雑草を根気よく抜き続けているみたいだ。
これも私の一部なのに、一部なら全部好きだなんて、あまりにもあんまりでしょう。

「たまに描いてるけどさ、作家にでもなりたいの?」

「別に?私は私を残したいだけ。私は永遠に思春期なの」

「あー、わからなくないな、その気持ち」

「ぶっちゃけ絵じゃなくても良いんだ。私を残せさえすればそれで」

「ふぅん」

さほど興味も無い、と言った具合だ。
あぁ、貴女にとって私ってそんなものなのね。
なんてセンチメンタルな気分に浸りたくもなる。
しかしながら、これでも私の親友なので、おそらく的確な言葉をポロリとこぼしてくれるのだろう。

「私の絵っぽい?これ」

「うん、お前っぽい」

「じゃあいいや、完成」

「いつも思うが、いいのかそれで」

「私っぽいんでしょ?ならそれで完成、これは私の一部なの、それが伝わればいいのよ」

「わかんないけど、そう言うところまで含めてあんたっぽいわ」

「はは、ありがと。それ一番嬉しいかも」

絵の右下に自分のサインを書いた。
多分、次見た時には自分でも何が描かれているのかわからないだろう。
でもきっとそれでいいんだろうな、なんて思うのだ。
鉛筆だけで描かれた私の絵は、上手くもなければ綺麗でもない。
そんな絵を描いては残していく。

「タイトルあんの、それ」

「ないよ?なんで」

「いや、思っただけ」

「そんなもんだよ、絵なんて」

「そんなもんか」

貴女は、ふん、と鼻を鳴らすと

「じゃ、タイトルつけよっか」

と読んでいた本を閉じた。

「んー、タイトルか、あんまり考えた事ないなぁ」

「テーマとかないの?これ、なんか波みたいな感じだけど」

「テーマか、テーマはあるよ。人生とは」

「深いな、それ」

「私の心は深海なのよ」

「ロマンチストだな」

「見たくない現実しかないから、消去法よね」

「だったらそれは浪漫じゃなくて、逃避行だな」

「行末に愛があれば良いんだけどねぇ」

そんな軽口で不思議なポケット叩いたら幾分の興味が増えたようで、スケッチブックをひっくり返しながら遊ぶ貴女はまるで猫のようだ。
私の絵で、遊ぶ貴女を、見て遊ぶ。
字余り。
あぁ、ペットが欲しいな。
でも目の前にデカいペットがいるしいいか。
そんな無駄な思考をするには十分な時間をかけて絵で遊んでいた貴女は唐突に呟いた。

「これはさ、あんた自身の一部なんだよね」

「うん、そうだね」

「じゃ、先に言っとく。ごめんなさい」

言うが早いか、そのページを破り捨てた。

「わぁお」

「怒らないんだ」

「うん、全然」

驚きこそすれ、怒りは湧いてこない。

「どう、痛い?」

「うん、痛いね」

私は確かに痛みを感じている。
不思議なもので、心が痛いなんてことはなく、何故か太ももを抓られたような痛みが走った。
もしかしたら、その絵は私の太ももなのかもなぁ。

「じゃ、これはここまで含めて『痛み』ってタイトルにしよっか」

「なるほどね、ありがとう」

「ははは、人の絵破ってありがとうなんて言われるとは思ってなかったわ。どういたしまして」

そう笑いながら散らばった絵を集める姿を見て、貴女の方が余程芸術家肌だよ、と思った事は言わないでおこう。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

一応真面目に考えて書いたんですけど、やっぱり面白くはなりませんね。

これから

人に見せる事

を意識して書いてみようと思います。

過去の作品群は間違いなくその時思った事やただの妄想を文字にしただけなので。

作品と向き合う

と言う話を芸術家の妹としたのですがかなり掘り下げた会話が出来て大変参考になりました。

これからも定期的に行いたいと思います。

しかしながらあれですね、一度完成させたら

完成させる

と言う事そのものは本当に簡単になりました。ただし、面白いかどうかは別問題ですが。

私は作家になりたい訳では一切ありませんが

自己紹介は上手に纏めたい

とは思っております。

そして、それで

面白い人だな

と思っていただけたならそれ以上はないでしょう。

以上です。

 

剣の証明者

 

「すまないな、魔術や魔法など無いのじゃよ。そんなものは」

老いた男の嗄れた声は、嫌に耳の裏に残る。

「そんな馬鹿な事を言うな!今すぐその首を国に持ち帰るぞ!」

激昂する俺を、慈しむように、憐れむように、濁ったその眼で見て居る老人は、俺の長き旅の目的そのもの。

「良かろう、老い先短いこの身じゃ。この首で皆の心の安寧を得る事が出来るのなら、いくらでも持っていくといい」

「どう言う事だ、説明しろ!貴様の仕業では無いと言うのなら、国に蔓延る病は一体なんだ、作物を枯らせる呪いは一体なんだと言うのだ!」

俺はあらん限りの叫びを尽くした。
聖剣をこの手で抜いたあの日から、憎き魔王の首を国に持ち帰る、その日だけを信じて生き、旅を続けたのだ。
それがどうだ、このざまは。
俺が思い描いた魔王の姿形とはあまりにもかけ離れている。
国に残したおじぃの方が余程肉付きがいいだろう。

「全ては、皆の心の安寧を得る為に生贄となったのだ」

「どう言う意味だ!」

「英雄を欲した民の夢、お前さんはそれそのものじゃ。押し付けたのじゃよ、かの王はお前さんにな」

「王を侮辱したな、貴様。その首切り落とすまでにその五体、満足に残って居るものと思うなよ」

「それも良かろう、わしはお前さんのその怒りの全てを、受け入れよう。儂にはその義務がある、可哀想な英雄よ」

「そんな目で……そんな目で俺を見るな!」

まるでか弱い愛玩動物を撫でる好好爺だった。
何もわからない。
穀物は枯れ果て、人々は病に伏せ、既に壊滅に近い我が国の王は、全て人の命を軽んじる魔王の悪しき魔術により我々民は弄ばれたのだと言った。
そして、聖剣を抜きし者に討伐の命を下すと。
そう力強く語る王の姿を今もよく思い出せる。
それを聞いた俺は我先にとその剣に走ったのだ、誰よりも早く。
だから俺は今ここに、魔王と呼ばれた者の前に立って居る。
それなのに、何だこれは。

「何かおかしいとは、思わなかったかね」

「何かおかしい?今この瞬間が何よりおかしい。貴様は一体何者だ、魔王では無いのか?魔王は一体どこに居る、もしや貴様、影武者か」

「この城には、儂しかおらん。いくらでも探すといい」

「ではどう言う事だというのだ、我が国の穀物は何故枯れた!貴様の魔術では無いのか!」

「もうあの国には、穀物を育てられるだけの土壌が無かった、ただそれだけの事よ。元々戦を嫌い、そして差し伸べられる手を払いのけ続けた国じゃ、いつ滅んでも何もおかしくはなかった。お前さんはあの国で戦を見た事があったか?伝え聞いた事も無かったのではないか?」

平和な国だと、母からはいつも聞かされた。
何者にも攻められず、何者にも攻め入る事のない国だと。
そんな王を賢王だと、心より尊敬していると、そう言っていた。

「……では病に伏せた人々は一体どうしてしまった。どんな治療も受け付けず、死に行く彼らを殺したのは貴様では無いのか」

「間違いなく、彼らを殺したのは儂じゃろうよ」

「ならば!俺にはお前を殺し、その首を持ち帰る義務がある」

「しかし、魔術でも魔法でも無い、残念ながらの。恐らく、風が新しい病魔を呼んだのじゃろう。国を閉じる、と言うのはそう言う事なのじゃ。古きを崇め奉り、新しきを拒むとは、知識を止める事他ならん」

「……そんな馬鹿な事があるか」

「馬鹿な事など、何も無いのじゃ。全ては自然の摂理じゃよ」

「では、この剣は!王から授かったこの聖剣を抜いたのはこの俺だ!この聖剣は選ばれた者にしか抜けぬ。私は貴様を、魔王を殺す為この剣に選ばれたのだぞ!」

「お前さんや、その剣を誰よりも先に抜いたであろう」

「あぁ、抜いたとも!私は選ばれた者だと信じたからだ!」

「だからじゃよ、その剣は、誰にでも抜ける、ただの剣じゃ。お前さんが剣に選ばれたのでは無い、お前さんが剣を選んだのじゃ」

絶句した。
その言葉で、全てを理解したが、それ以上に納得を拒んだのは自身の防衛本能他ならない。
分からぬままこの問答を続け、怒りに身を任せ魔王と言う皮を被ったこの老人の首とその下で二つに出来ていたら、俺はこんな想いをしなくて済んだのかと思うと、分かってしまった自分自身を殺したくて堪らない。

「……そう、か。あぁ……そうか」

「何も聞かずに儂の首を持ち帰った方が、幾分気分も良かったかもしれぬの」

「森の獣も、貴様が操っていた訳ではないのだな。それもそうか……誰しも家を荒らされれば怒る。獣達も森を荒らされれば怒るであろう。俺を襲った彼奴らも、本当にただの山賊だったか……」

「妄執、とは如何様にも世界を変容させてしまうのじゃ。しかしな、お前さんはよくぞここまで辿り着いた。紛れもなく立派な英雄ぞ。この儂が、認めてやろう」

滑稽だった、ひたすらに。
惨めだった、ひたすらに。
俺は概念にされたのだ、あの王に、あの国に。
しかもそれは泡沫の夢だ。
この老人の首を刎ねても、死した者は生き返らず、枯れた野花は蘇らず、この剣は何時でも何処に刺しても抜ける。
旅立つ俺を見て、民は心底安心しただろう。選ばれし者が、選ばれし道を歩む事はどの時代の物語にも語り継がれた英雄のそれだ。
そして、あの国にとって、あの王にとって、俺は何処かでのたれ死んでくれた方が余程都合が良いのだろう。
あの国の英雄譚にはこう綴られるのだ、我が国の栄誉ある英雄は魔王と激闘の末同士討ちに終わった、と。

「では、最期の質問だ」

「何でも答えよう、英雄よ」

「貴様は一体何者だ」

「あの国を、あの国たらしめた諸悪の根源じゃよ」

「……そうか、聞きたい事は、もう無い。最期に残す言葉はあるか」

魔王は息を大きく吸い込むと、今際の際を覚悟した獣のように吠えた。

「英雄よ、永遠であれ!」

「……ありがとう」

何でもない剣は、何でもないようにその首を刎ねた。この礼の言葉が届いているかはもう分からない。
こうして最も容易く、英雄譚における決戦は幕を下ろす。
俺は数瞬し、剣から血を振り払い

「そうだな」

と呟くとそれ以上は何も言わず、二度とこの手で剣を抜く事が出来ぬよう、自らの身中へ突き立てた。

 

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本日は豪華二本立て!

まぁ、この手のお話は本当によくあるお話ですね。

正義の味方

という概念がそもそも存在しなかったら、いつか救われるのではないかと希望を抱き死に行く人々も居なかったんでしょうかね。

今回も曲紹介になるんですけど

チーナさんの

「蛾と蝶とたこ焼きとたこ」

「いつも笑顔のヒーローが家で泣いてたらどうしよう」

と言う歌詞をずっと覚えて居て、事あるごとに思い出したりします。

かくあるべき、と烙印を押された人間は一人で泣くしか無いのだろうか、などと考えたりしますね。

以上です。 

高速道路

『次のリクエスト曲は、フラワーカンパニーズで深夜高速です。どうぞ』

時速100キロで走るトラックは、激しい豪雨の音にかき消されまいとエンジンを唸らせる。
ラジオから流れるその曲は、何年振りだろう、若い頃によく聞いた曲を流している。

「青春ごっこを今も続けながら旅の途中……」

ふと口ずさむ歌に、まだ歌えたんだな、と自分自身に驚いた。
酷い雨の中、ワイパーの水切りは最早焼け石に水で、どっちが水でどっちが焼け石になるのかもわからない。
周りはトラックばかりで、右の車線を走る車は次々に僕を追い抜いていく。

「壊れたいわけじゃないし、壊したいものもない。だからと言って全てに満足してるわけがない……」

余りにも散々なその曲は今の僕に良く似ていて、走馬灯の様に左右を時速100キロで視界の端から端を通り過ぎる照明灯を眺めては、その曲のタイトルと内容の意味をなんとなく、本当になんとなくだが、理解が出来たような気になった。

「生きてて良かった、生きてて良かった、生きてて良かった。そんな夜はどこだ」

あぁ、僕は誰かの言葉を借りなければ、自身を証明することすらままならないのか。
歌いながら、あの頃ではとても思いつきもしなかった事を、少しだけ胸の痛みに耐えながら考える。
今なら、虎の威を借る狐の気持ちが少しだけわかるかもしれないなんて、その言葉すら誰かの借り物なのに、僕は一度も僕を羽織る事が出来なかった現実を突きつけられたような気がした。
本当に、酷い雨だ。

「マズイな」

豪雨と共に雷まで瞬き始めてしまった。
遠くの空は深夜だと言うのに、もう寿命間近の蛍光灯のようにパチリパチリと光を不定に放つ。
音が届かないのが幸いか。
流石にこれ以上の走行は身の危険を感じ、すぐさま直近の小さなサービスエリアで腰を落ち着かせる事にした。

『如何でしたでしょうか。フラワーカンパニーズで、深夜高速。良い曲ですね、本当に」

ラジオのパーソナリティは、僕の認識から遠い感想を述べる。
この曲を良い、悪いで聞いた事がなかったからだ。
僕はこの曲が好きでも、嫌いでもなかった。
だが、胸の奥深くに眠る生への沸々と煮えたぎる、憎悪とも似た何かを呼び覚ます曲として、聞いていた。
僕は、怖いのだ。
いや、それは決して豪雨の中で危険物を載せたトラックを運転する事でも、後ろから早く行けと急く同業のトラックに煽られながら運転する事でも、それこそ、こんな雷に撃たれてしまう事でもない。
僕は、あと何回こうしてハンドルを握る日々を続けるのか、ただただ、それだけが怖かった。
若い頃の僕は、金さえあれば強くなれる気がしていた。しかし、金は僕に、金で買えるものしかくれなかった。
当たり前だった、そんな当たり前の事に気付いた時には、何もかもが手遅れだった。
恋人はもちろん、友人と呼べる人間すらいない。
職場での関係は、職場と言う場所がなければ成り立たない希薄な物で、何より最悪なのは、自分だけはこいつらとは違うんだと言う醜悪な妄想他ならない。
僕は、この人生で何も得ることは出来なかった。
鍵がないならまだいい。
もうすでに、僕の人生には開けるべき扉も残ってなどいなかったのだ。
暗闇のトンネルの中を、ただ手探りであるはずも無い出口を探し続けている。

『僕はねぇ、この曲の生きてて良かった、そんな夜を探してるって歌詞が大っ好きなんですよねぇ。皆さんはどうでしょう、生きてて良かったですか?』

もう、そんな事もわからない。
考えたく無い、だけかもしれない。

『生きてて良かったー!って人は素晴らしい!どうかその気持ちを忘れないでください。でも、そんな人ばかりじゃ無いですよね』

分かった風に言うそのラジオの声に苛立ちを覚える事が出来たなら、僕はまだやり直せただろうか。

『そんなラジオの前の皆さん、今からでも遅く無い!探しに行きましょう、このラジオは深夜3時までお付き合い出来ますよ。是非このラジオを聴きながら、ドライブ行っちゃって見ませんか?それでは次の曲に行きましょう』

最近はやりの曲なのだろうか。愛を語る歌詞に軽快なメロディーが流れる。
その歌詞は特に共感が出来るものでも無く、ましてや殆ど経験したことの無い事なのだ、遠いお話どころかもはや都市伝説めいている。
そろそろ、雨脚も弱まってきた。
目的地まではあと114キロほど、時間にすると1時間30分前後と言った所か。
そうだな、残りの道を走りながら、そんな夜を探してみても、いいのかもしれないな。
こんな仕事、放り出して海にでも行こうか。
あぁ、なんだよ。
あんなしょうもないラジオで少しだけ、本当に少しだけだが、勇気なんて言ったらいいのか、出てしまった。
僕はエンジンをかけ、サービスエリアを出ると一気に右車線に躍り出た。


その道は次の日の正午ごろまで通行止めとなる大事故が起きた。

 

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フラワーカンパニーズの「深夜高速」

名曲中の名曲、だと思っています。

学生時代、この曲を聞いて踏ん張った思い出がたくさんあります。

あぁ、畜生め、そんな夜を探し出すまでは生きてやる、みたいなね。

ですが、年々そんな思いも少しづつ少しづつ小さくなっている事も、実感しています。

くだらない思春期の悩みだと、笑って頂いて結構なんですが、あんまり上手くはいかんもんですね、人生。

特に何かあったわけでも無いんですけど、いや、もう何日も

特に何もない日

を繰り返したらこうなったと言った感じなんですかね。

ですが、まだこうして文字に起こしているので、まだ諦めて無いんだと思います。

僕は僕を。

以上です。